生活普段議 www.cabbage-net.com/seikatsu/
第1号   中佐 昭夫さん  「モノが成り立つにはワケがある」


今回のモノは、南部鉄器作家、宮伸穂(みやのぶほ)さんが製作した“取っ手”です。
旅先での思わぬ出会いから始まった中佐さん流の「ものづくり」。
そこには、緩やかながら強力な彼の「信念」が垣間見えます。


中佐昭夫(なかさ あきお)

1971年   広島県生まれ
1995年   広島大学工学部第4類(建設系)卒業
1997年   早稲田大学理工学研究科修士課程修了
1997年   (株)山本理顕設計工場(〜2000年)
2001年   ナフ・アーキテクトアンドデザイン有限会社を設立し現在に至る

作品が掲載された主な雑誌:「新建築住宅特集」「住宅建築」「商店建築」「男の隠れ家」「一個人」


ナフ・アーキテクトアンドデザインのHP  www.naf-aad.com
中佐: 今年の春頃に、「鉄瓶がほしい」と言い出した妻とともに盛岡まで足を運んだんです。南部鉄器はその地方の伝統工芸ですから、街はそれらしい品揃えの店が多かったんですけど、一店舗だけモダンなデザインの鉄器を揃えた店があって、それが「釜定(かまさだ)」という宮さんの店だったんです。宮さんはそこの三代目です。でも、店に入ったときは、そんなことは知りませんでした。 店の中には鉄瓶をはじめ鍋とかいろいろなものがあったんですが、その中に妻が以前から気に入って使っている、かっこいいフライパンがあるのを見つけて「ああ、この店のご主人はあのフライパンをつくった人なんだ!」と、思わぬ出会いに二人でときめいてしまいました。
小林: 本当に偶然の出会いですね。
中佐: その場で買ったのは鉄瓶だったんですが、盛り上がっている二人の前にたまたま奥にいた宮さんが出てきました。話を聞くと、そのフライパンはかつて大学の卒業設計でつくったものだそうです。それが今でもちゃんと使えるものとして製品になっているということに感動しました。
宮さんはすごく形にこだわっている方で、以前「フチの立ち上がりの少ない“薄い”フライパンが格好イイ」と思ってつくったらあまりに薄すぎるため食材がフチからこぼれて使い物にならなかったというエピソードを話してくれました。自分の鉄器に対する既存イメージと、明治から続く釜定の三代目の「薄いのが格好イイ」という考えとが、ギャップがありすぎて逆にとても面白かった。
宮さんの店には用途のわからないものもあって、ご本人に「これ何ですか?」って聞いても「いやー、なんだろうねー」という具合でした。ある人は灰皿に使うし、またある人は花器に使うといった感じで。
そこで「余談ですが、取っ手をつくってもらえませんか」と頼んだところ承諾していただけて、それが先日出来てきたんです。
鄭: 取っ手というと、何に取りつけるものですか。
中佐: 銀座のレストラン「ポトフ」のガラス扉につけるものです。これがそうなんですが。
●中佐さんが、段ボールの中から梱包材に包まれた四角くて黒色のものを取り出す。
鉄器というのはモノをマッス(量塊)でみるので、薄い板を折り返してどうするとかいうデザイン的着想はないようなんです。その辺に宮さんは興味を持たれたようで、「これを雛形にして、丸でも四角でもいろんな展開が商品化できるようになると面白いね」と。
小林: 中佐さんが鉄器を取っ手にしようというのは、突然思いついたんですか。それとも店舗設計が進んでいて、取っ手になるものを日頃から探していたんですか。
中佐: 両方です。店の設計においてはプランが良くできているとかキレイだとかいう表層的なことだけでなく、バックグラウンドのストーリーも繁盛につながる大事な要素だと考えています。それを提供するのは自分たちのサービスだと思っています。取っ手ひとつで店主が話をできるというのは大事なことなんです。それを今回、盛岡で思いついたというのはたまたまですけど、こういう人がつくっているものならストーリーをつくれるんじゃあないかな、と思ったんです。
小林: 取っ手以外にも鉄器でつくれそうなものはありましたか。
中佐: いろいろありそうでした。ただ、丁番はムリでしたね。可動部は錆びてしまいますから。宮さんは、その気になればなんでも「できる!」って言っておられましたけど…。
宮さんは他にもデザイナーと協同で作品を出しておられることを後で知りましたが、本人はそういうことで著名になることよりも地域芸能の活性化だとか作品づくりを通した社会貢献を考えておられるようです。だから、以前に某生活情報誌に載ったんことがあるんですが、そのため特定の商品注文が殺到して、仕事が片寄って大変だったと…。 自分の中では、宮さんとのこういった関わりはできれば継続していきたいと思っています。それがどういうふうなのか、ビジョンはなかなか描けないんですけど。

レストラン「ポトフ」外観 / 銀座
Photo:大竹 静市郎
小林: それで、買った鉄瓶の使い心地はどうですか。
中佐: いいですよ!コーヒーを淹れたりとか。雰囲気はとてもいいです。でも実用上は不便なこともあって、鉄器というのは表面が漆仕上げなので弱火でしかお湯を沸かせません。使った後は加熱して中の水分を飛ばさないと錆びたり、蓋を押さえずに注いだら熱いままの蓋が足に落ちてきたり…。でも、生活は豊かになったかなあ…。
小林: 便利なモノはいいものだ、という思想とは逆ですね。
中佐: かなり大雑把な言い方ですが、ものすごいハイテク化傾向の中で、生活の不便を取り除いてくれる(つまり便利な)ものこそ豊かだと思っている一方で、それを過ぎると今度は、便利とは違う豊かさがあるんだ、ということを直感ではみんな感じていると思うんです。ところが具体的にそれを投影する対象物がなかなかない。雑誌などでは豊かさの一例として「こうすれば粋に暮らせる」というような記事は多々あるけど、それは「お金」がかかることだったりして、今の自分たちに即実践できるものが残念ながらあまりない。そうではなくて、実践できるようなことがあればいいなと思っているんです。そこで思ったのは、お金ではなく「手間」をかけることなのかなあと…。
小林: そういうものって手間がかかる、しかも手に入れるまでに手間がかかるものが多いんですね。その手間というかプロセスが、ある「ドラマ」を産み出していくんでしょうかね。人はそれを求めていたりして。
中佐: 「お金」じゃなくて「時間」なら誰でもつくれる、というのが自分の解釈です。ほしいものを手に入れるための障壁が「時間」だけならば、それはなんとかできると思うんです。
小林: 不便さをいやだと思うのは世代間で差があるように感じます。
中佐: 結局、不便なりの正当性が描けていれば受け入れられるし、楽しめるんでしょう。長い目で見たときに、その不便は何のためかという理由が描けていれば。ずっと上の世代の方々にとっては、不便なことに理由なんてなかったと思うんです。それはどうしようもないことだった。今のように不便なことの理由づけさえも選べるというのは、恵まれていることだと思いますね。
鄭: インターネットの世界では、不便という選択肢はありませんからね。便利あるいは機能的であることは至上命題で、建築とは違ってそれをはずすと誰も見てくれなくなってしまう。逆に「ちょっと不便」という感覚を取り入れることができるのかどうかは課題だと思いますが。そういう意味では、建築やプロダクトのように不便な要素が入ってもいい「対象」がある、ということなんでしょうね。
中佐: それは、そのものがもつ歴史もしくは成熟性が生み出すのかもしれませんね。
そうそう、以前、某コンペで、こんなことがありました。
杉の産地で、林業を再生して、それを建物づくりにうまく活用する案を競う、という内容でした。
その土地には有名なナントカ林業とかいう会社があって、そこが確立した生産方法は大変優れたもので世界的にも評価が高いんだそうです。そこでつくられた杉を使って建物をつくるんですが、そこまでいくと単なる「木造」という範囲を超えてくる。仕上げを杉にするとか表層的な話でとどまらず、林業再生、ひいては町おこしが関わってくるわけですから、それは面白いなと思ったんです。
ところが、その林業社の製品を用いた施工実例というのを調べたら、見えるところにその林業社の刻印がば−っと並んでいた。気持ちはわかるんですが、ちょっとスマートじゃないというか、これ見よがしなんですよね。
これを見て、本質的に面白くて、そのまま生かせば面白い結果になりそうなストーリーがあるとしても、それをうまく実現する仕組みが整備されていないんじゃないかと思った。
鄭: そういうストーリーは、ある意味秘められてこそ面白いんですがね。
中佐: そうです。ムクの木材を使う「贅沢さ」や林業を守れという「価値観」がパッケージ化されてビジネスに転嫁していくわけです。じゃあ手に入れるためにはまたお金を払えばいいのか、ということになっていく。それはどうかと思うのです。
だから他方で、お金ではなく時間によって手に入る贅沢ならいいのではないかと思うのです。
そのせいもあってか、国内旅行には最近よく行くんです。なぜなら、さまざまな地方には美味しいものや良いものがたくさんあって、そういう贅沢なものを手間とか時間をかけることで手に入れられますから。
鄭: 時間をつくることで贅沢を手にしていったとして、その先で生活のすべてが不便になったら…どうなんでしょうか。
中佐: それはよくないんじゃないかと思うけど…、でも一方で、それもいいかなと思うこともあります。
あえて不便さを選んで田舎で農業をやり始める人もいるくらいですから。
鄭: 自分などは、田舎に行きたいと思っています。ただ、仕事を捨ててまで行こうと思わないですね。だから場所にしばられない仕事のやり方をめざしているわけです。
中佐: 建築を仕事としている人は、都心に多いですね。でも、田舎に行きたいと思っている人は多いはずです。
都心にいる理由は「便利」だからでしょうね。今、ナフの東京事務所で動いているプロジェクトは千葉から山梨までに広がっています。おそらくこの範囲をカバーするのは地方では難しいと思います。関東の鉄道網あってのことでしょう。
小: 文化的背景もあるのではないですか。地方では建築家に頼もうという思想自体がそもそもなかったりします。家は建てますが、建築を建てようという考えはきわめて少ないそうです。
鄭: 地方で建築家が生きていくためには、そこでオンリーワンになることが必要で、そうするとその地方の施設の館長や商工会の会長さんやお偉いさんと知り合いになって、そういう類の仕事がみんなそこに集まるようになる。建築の場合はどうしても「場所」から逃れることはできないですね。
中佐: ナフの広島事務所の場合、そういう状況もあります。
もし「場所」という制約から逃れられる場所があるとしたら、それは東京が一番有力ですよね。
鄭: 逆に言うと、東京に「地方でない」という以外にアイデンティティはあると思いますか。無色透明以外に東京の色があるかということなんですが。
中佐: 今、都心の地域情報誌を出版している知人と「東京の中に地域を見つけられるか」ということを話し合っています。それは地方とは全く違った地域性のようです。
たとえば、ある人が恵比寿で店を開いたところ、最初はまったく赤字で大変だったそうですが、一年くらい経ったら近所のおばちゃんたちから「最近どうですか」みたいな言葉をかけられるようになって、それから以前は来なかった人たちが来るようになったということです。
鄭: 都市周辺の新興開発地の場合は地域性は希薄で、むしろ住んでいる人のカラーだけになってしまうと思うんですね。そこで分譲されている家の値段とか都心からの距離とか、そういうことである一定の層の人たちが集まってくる。都心に近くなるとそういうことはなくて、割と幅広い層の人たちがいるんです。
中佐: 後者の方が、悪い言い方をすると最初は閉鎖的なんでしょう。そりゃ六本木(ヒルズ)とか、個人商店やっているそばであんな感じのものをやられたら、いい気はしないですよね。
鄭: 東京における地域というのは、ものすごく小さい単位になっているんでしょうね。
中佐: そうかもしれません。ですから複数の地域と協同するという方法でもいいと思います。
鄭: でも、それもまた難しいんでしょうね。閉鎖的で…。関係を築くのに時間がかかる。
中佐: やはり横のつながりというか、ネットワークが必要なんでしょう。純粋にみんながいい気分になれるという仕組みが重要です。
東京にどんな地域があるか、それに対して建築がどんな役割を果たせるか、ということは最近よく考えます。それをやっている建築家はなかなかいないような気がします。そもそも成り立たないものなのかもしれませんけどね。
ちなみに「地域に建築家は必要である」とは言い切れなくても、「店舗にこういう取っ手は必要だ」とは言いうると思います。
小: 部材に集約したストーリーづくりをするのは、”建築家の仕事”としてはどうですか。
中佐: 結論から言うと、自分の場合はそれをやらなければ仕事にならないんですね。そういうところからしかやり方がわからないんです。これは個人的なコミュニケーションのとり方の問題です。ストーリーは言葉で手っ取り早く伝えられますから。
これは在学中、歴史研究室にいたせいもあるんでしょうけど、「モノの成り立ちにはワケがある」という概念から自分を切り離せないんです。それは自分のテーマであって、それからは逃れられません。
小: なんていったらいいんでしょう…、そういう考えがないと中佐さんの建築は成り立たないということでしょうか。
中佐: もちろん全てがそういうふうにできているわけではありません。ただ、自分たちが満足のいく程度の成り立ちのストーリーは必要だと思っています。それを成り立たせている内容についても、今後整理していきたいと思っています。
鄭: それが一つの軸になっているんですね。住宅の場合もそういうことを考えているんですか。
中佐: 同じですね。
進行中のものについては具体的にはなかなか言えませんが、以前設計した住宅では、「家族構成→その人達がどういうふうに生活しているか→どうしたら心地よく暮らせるか」という流れで、純粋にその考え方で進みました。はじめに条件を整理したら、家の中と外部との線引きははっきりできていて、中ではある程度ルーズで、そこから、じゃあ壁はあまりつくらないようにしましょうとか考え出したんです。こういう風だと、しっくりきますね。それを、たとえば、○LDKとかから考え出すと全然ダメだったでしょうね。大まかにはそういうことです。
中世や近世では、大工が木割術を用いて建物をシステマティックにつくるんですが、それだけでは完成しない部分がある。例えば欄間とか。だから欄間のデザイナーがいてすごいのをつくるんですよ。そこに思いを込めて特別な意味付けをしたりするわけです。それは極端な例ですけど、今もそういうことは発生していると思うんです。ここまでは自動的に決まるけどここからは決まらない、ということです。自分は、決まらないところはフリーにしておきたいと思っています。そういうところに、たとえば他人が入ってきたりして面白いことを言うと、そこが顕著に変わっていく。そういう部分を残しておきたいと思いますね。
全体のシステムも、もっともっと緩やかに変化できるはずですし。あまりにも全体を画一的にコントロールしようとすると、例えば「ここのチリが納まらないからこの建物は全部ダメだ」というような話になってきて、それはナンセンスだと思うんです。
小: 細かいシステムの話ばかりで押してくる設計者よりは、一般の人は中佐さんのような切り口の方が受け入れやすいような気がします。
中佐: この取っ手なんかは、店舗の主人は彼なりの思いを入れられる、宮さんには宮さんなりの、自分には自分なりの思いを入れられるんです。それが可能な密度があればいいんじゃないかと思うんです。
鄭: がちがちに固まった概念を押しつけるのではなくて、それぞれの人の解釈も活かしたいと思っているわけですね。そういうところがこの取っ手のようなものづくりに繋がってくるのですね。
中佐: そうしないと、宮さんのような存在を受け入れられないと思っています。
お忙しい中でしたが、最後には「こうやって自分の考えなどを改まって話すのは面白いですね。機会があったらぜひまたしゃべらせて下さい」と言っていただきました。 “中佐節”の余韻が残る中、我々はナフ・アーキテクト&デザインを後にしました。
聞き手:鄭、小林(生活普段議 www.cabbage-net.com/seikatsu/
クレジットのない写真はすべてキャベッジ・ネット撮影
無断複製、転載を禁じます。