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「姉歯建築設計事務所による構造計算書偽造事件」緊急特別号
「構造計算書偽造事件」について    ライフアンドシェルター社  松野 勉さん
 
今回の事件は、潜在的悪意が形をともなって成立してしまった、つまり、倫理観の欠如という潜在的悪意を持つ一部の人間によって引き起こされた、社会的犯罪である。
建設業に関わっている者たちのほとんどが、良心を痛め、自分たちがしてきた尊い行為に対する侮辱であると感じているであろう。
私たちは、事件が発覚して間もない段階であったが、問題の大きさと、私たちが置かれている社会的立場を考え、blogにコメントを出した。(http://lsblog.exblog.jp/14804/) 下に本文を転載する。

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2005-11-21 23:10
生命
 
あり得ないこと、あってはいけないことが起きた。
構造計算書の虚偽作成にまつわる忌まわしい事件のことだ。

僕は以前から、「建築家とは職業であるだけでなく生き方である」と考えてきた。
自らが発揮できる能力とそれが及ぼす効果に対して対価を得るのと同時に、社会善に向かって自らをなげうつ責任を負っているからだ。

中世の時代では、寺院などの設計を国王から依頼された建築家は、その建築的価値が認められれば地位と名誉を得、至らなければ自らの生命をもってそれに代替えする、という話を聞いたことがある。つまり自らの生死をかけて建築に挑んだのである。

自分の生活のために、他者の生命の危機を顧みないなどということは、まったく理解不能。深い憤りを禁じ得ない。

と同時に、自分の生活の基盤である家を失う方々に対して、何か具体的な対処はできないだろうか、と思い悩む。

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人間はミスをする動物である。
どんなに厳格な倫理観を持っていても、高い知性を持っていても、ミスをする可能性はゼロではない。だから、社会制度として何重ものチェック機構を設け、万が一どこかのプロセスでミスが発生したとしても、複数のチェック機構を経ることで、ミスが現実化される可能性を低めるシステムを作り更新し続けてきた。このチェック機構の精度向上こそ、人類が歴史をかけて作り上げてきた文明であるといっても過言ではないだろう。

しかし、今回の事件は、潜在的悪意が、建築基準法に関わるチェック機構をすり抜けて、安全性が損なわれた何十もの建物として現実社会に出現し、そこに何百人という人々が実際に生活をしていた、という事実が、問題の大きさを決定づけている。また、潜在的悪意がシステムに潜り込んでしまったアクシデントとして、潜在的悪意を持つ者が社会基盤整備事業に紛れ込んでいたことに対する嫌悪感と、不具合を排除できなかったシステムへの不安、が報道の大きさを助長していると思われる。
事実の究明と対策に当たっては、いくつかのプロセスに分解して検証すべきだと思う。

 
1.倫理観の欠如=潜在的悪意をもって、生活基盤を守るべき業務に当たった人間が少なからずいること。
2.それが偶発的ではなく、繰り返される仕組みをともなって成立してきたこと。少なくとも潜在的悪意を除けば、経済原則・競争原理に従って行われてきた行為だったこと。
3.上記の現象を、チェックし是正すべき組織が、その社会的役割を果たしていなかったこと。
4.その結果、人間生活の基盤である住宅、しかも集合住宅という近代的な住環境において、その基盤である安全性が損なわれたこと。つまり近代的な人間生活の基盤そのものが損なわれたこと。
 
それぞれのプロセスに対して厳重な調査がこれから行われると思われる。各要素を混同してしまうと、必要以上の過剰反応に陥ったり、本質的な解決がなされない可能性がある。対策項目としては、倫理観の徹底、チェック機構の精度向上、セイフティネットの設立、などの検討が必要であろう。現段階では具体的対応策について提案できる状況ではなく、原因の徹底的究明をまずは待ちたいと思う。
 
  ○

今回の事件のベースには、建設業界における、行き過ぎた経済原理の弊害が存在すると考える。

現在、住環境の提供、生命の保護、生活を守るシェルターをつくる、という社会的行為は事業主体で進められている。事業、つまり経済行為・経済的合理性にそぐわない要素は排除される。安く早く作れる方法が編み出される。安く作り高く売る、同じものをたくさん売る、これは経済原則そのものである。これらはすべて近代資本主義が追い求めてきた価値であり、これによって量的にほとんどの経済行為が営まれている。
私は、ここで経済的合理性自体を否定しないし、それにすべて取って代わりうる有効な手段を知らない。

しかし、次のような現実を見て、皆さんはどのようにお考えになるだろうか。

ある工務店の現場担当者は、自分の趣味の時間を削って早朝から夜半まで、現場に赴き大工さんと話し合ってつくりかたを工夫したり、現場施工図を起こしたり、私たち設計者が作成した図面にらめっこして、ファクスや電話で何度も何度もやりとりをする。建設途中で台風が来れば急いで現場に行き、雨を除けるシートがはがれていないかチェックしに行く。「問題がなくてあたりまえ、何か問題が起きれば僕たちの責任になるんですよね。縁の下の仕事だけど、お客さんが喜んで使ってくれているのを見ると、やめられないね」と言いつつ。

ある大工さんは、面倒で手間がかかる工事も厭わず黙々と働いている。そのため、一般的な作り方よりも時間がかかり、請け負える仕事は必然的に少なくなる。「俺が死んだらこんな面倒な仕事をするやつはいなくなるなぁ。俺が生きている間で良かったねぇ」と私たちに笑顔で話しながら。

私たちの周りには、クライアントが喜んでくれる住宅を一生懸命つくろうとして日々努力している良心的な工務店、大工さん、職人さん、そして建築設計者がたくさんいる。
より手間がかかるものをひとつひとつ丁寧に作る良質な工務店、大工、職人の方々、建築設計者は、より多くの時間を割き、どうやって作ればよいか、どうやったらお客さんが満足してくれるものが作れるか、どうやったら設計者が考え出した空間を実現できるか、ということを考え、日々努力をしている。
しかし、工夫をしたり手間をかけることは、現在の建設業界において、ほとんどボランティアの領域になってしまっている。安く作るための工夫や検討をしても対価が増えるわけではない。それでも彼らは工夫を凝らし、手間をかける。
なぜか。
人々が喜んでくれるものを作りたいからである。

建設業という仕事は、考えたことが形になる、人が使ってくれる、やりがいがある、喜びもある。満足感の高い仕事である。しかし、人々の生活基盤に関わる社会的業務が、私たちの無償の倫理観と責任感という柱に多くを依存しているという現状は決して健全な姿とは言えない。
手間のかかる仕事をしていた工務店が倒産することもまれではない。事実、私たちが設計した住宅を手がけてくれた工務店も1社倒産、1社業種転換した。私たちはこの事実に際し、深く心を痛めてきた。

よりよいものをつくろうとする者たちが経済的事由によってその行為が継続できなくなる。それは建設業としての損失であるだけでなく、あらゆる人々にとっての損失である。経営努力はもちろん必要である。しかし、株式会社の寿命サイクルが30年と言われる中、建築は、30年はもちろんのこと50年、100年、その場所にあり続けるべき存在なのだ。
これらのことを人々が認識し、意識を高めることが、良質な建設業界の体質をつくる新鮮な血流になりえるのではないだろうか。

そういった意味で、この事件は、現代に生きるすべての人々、そしてこれから大人になり社会を担う子供たち、そしてこれから生まれくる子供たちすべての、「生き方」に関わる示唆をはらんでいると思われる。

2005年11月29日
松野勉・相澤久美/ライフアンドシェルター社
(文責:松野)
 
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