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第5号   遠藤 克彦さん  「建築家という『仕事』はない」
今回は遠藤建築研究所の遠藤克彦さんです。
これまでにたくさんのプロジェクトを手掛け、建築誌などにもたくさん掲載されています。遠藤さんの建築、デザインに対する姿勢はどのようなものなのでしょうか。
初の車上インタビューも交えながら、お届けします。


遠藤 克彦(えんどう かつひこ)

1970年  横浜市生まれ
1993年  東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程進学(東京大学生産技術研究所 原広司研究室)
1995年  同大学院博士課程進学
1997年  遠藤建築研究所設立
1998年  同大学院博士課程を退学し、現在に至る

作品掲載雑誌等:「新建築・住宅特集」「建築文化」「別冊モダンリビング」など

遠藤建築研究所のホームページ http://www.j4f.com/eaa/
●今回のモノは、ボルボ240の最終型セダンです。
遠藤: これは93年製で、デザインは70年頃にされました。そのころから設計の基本は変わっていなくて、93年の製造が最後なんです。
僕は以前からこのタイプがすごくほしかったんですが、たまたまあるプロジェクトの施主さんがこの車に乗ってらっしゃったんです。敷地は、この車では入っていけないような崖の上で、施主さんが車を買い換えると言うので「もしボルボを手放すなら、ほしかったんで、ぜひ譲ってください」とお伝えしたんです。そうしたら本当に買い換えることになりました。「遠藤君、ボルボ買う?」って聞かれたので「ぜひ!」って(笑)。
みんなは「ボルボといえばワゴン」って感じでワゴンをほしがるけど、僕はセダンがよかった。 240はFRで、いちばんシンプルにできています。エンジンルームなんてガラガラです。エンジン修理するときにパイピングとかを全部外すと、エンジンと車体のすき間から上まで顔が出せるくらい余裕があります。
小林: へえ、そんなふうなんですか。
遠藤: これは、世界中から部品を集めてボルボが作った「多国籍軍的な」車です。例えば、ミッションは日本のアイシン製、タイヤはミシュラン、という具合で…。ちょっと乗ってみます?
小林: いいんですか。是非。
●さっそくステアリングを握らせてもらい、その辺をドライブ。
小林: ドアのラッチの音がいいですね。ガチャンって。
遠藤: 椅子も革張りで、必要以上に大きくてソファみたいです。 エアコンとかの一個一個のボタンが大きい。聞いた話では、スウェーデンは寒いのでみんなコートを着てグローブをして運転するから、グローブをしたまま操作ができるようになっているということです。だからボタン同士の間隔も広いんです。
ちょっと走りますか。




小林: では、行きます。
遠藤: この車は、タイヤがすごく細い。スウェーデンでは雪道を走ることが多いので、そんなに太いタイヤは履けない。燃費だ何だでいろいろ試行錯誤して、これがベストバランスだという結果のようです。
僕が譲ってもらったとき、すでに10万キロ走っていました。その後、僕が7万5千キロくらい乗っています。今は仕事で金沢、軽井沢、伊勢志摩、栃木など、遠くに行くことが多いんですが、金沢の仕事の後半は全部これで行きました。片道5時間半くらいかかるけど、ぜんぜん辛くなかったです。というのは、車での移動は飛行機や電車と違って、ある意味自分の部屋を持ち歩いているようなものですからね。この車を運転したいからというわけじゃないですが、長時間の移動に慣れたいと思っています。5時間くらいなら車で移動できるようになると、地方の仕事もしやすくなると思います。
小林: 車によっては、シートが悪くて2時間くらいで体が痛くなるものもありますね。
遠藤: これは、まったくそういうことはないです。
現代の車と比べると、この車はトランクが大きいし、ボンネットも一見無駄と思えるくらい長い。真横から見ると、まさに子供が描く絵のような車です。セルシオとかと同じくらいの長さがあります。でも、セルシオはリビングルームのように室内が広いけど、この車はそうでもない。
でも、それは設計意図なんですね。エンジンルームに余裕がある方が整備もしやすいし、衝突したときのクラッシャブルゾーンにもなっているわけです。
小林: 居住性だけでなくて、トータルで考えてこのパッケージがいいという意図ですか。
遠藤: そう考えていたんでしょうね。
小林: このウィンカーの、カチッという操作感も気持ちいいです。全体的に「マシンが走っている」って感じですね。
遠藤: ええ、カチッカチッとしているでしょう。
ボディの板金もそうなんです。ボルボって、車体に“肩”があるんですよ。設計当時は、鉄板を折り曲げて車体の強度を出していたんです。表面上は薄く見せて裏側に補強リブを入れるのではなく、むしろきちっと板を曲げて側面からの強度を出そうとしてこの形になった。当時の考え方が形に出ているんです。
小林: 車体の板金は、このモールのところも曲げているんですね。
遠藤: そうなんです。よくやっているなーって思いますよ。
小林: 高速ではどうですか。
遠藤: 走り心地いいですよ。リッター10キロくらいは走りますし。
ただ、古い車なので、オイル交換はきちっとしなければなりません。夏に水温計の針が簡単に上がっていくのを見ると、心臓に悪いです(笑)。
●ドライブは終了して、事務所に戻ってお話を伺いました。
小林: ボルボを手に入れた経緯は、運というかタイミングがとても良かった結果だったんですね。
遠藤: でも「運がいいのは、ただいいんじゃなくて、来たるべき運に対して準備しているからだ」と、私の好きなある女優がドラマの中で言っていたそうですが、その通りですね。それはとても重要なことだと思います。
うまくいかないときには「運がないな」って言ってるだけじゃだめですよね。就職だってそうです。ちょっと開いた入口を自分でこじ開ける人もいれば、自分から閉めちゃう人もいます。ワンチャンスを生かすのは、とても大切です。
以前、こっちから返したメールにすぐ電話をよこして、とにかく会ってくれって言う学生がいたんです。で、会って休み中に一ヶ月くらいここで働いて、「この人はなんとか使えるかな。でも新学期が始まるんだっけ」って思ってたら「この先も、まだいます」って。こっちが「来週から学校あるでしょ」って言ったら、「休学しました。校長に話をつけてきました」って言うんです。
小林: その人のすごいところは「休学します」じゃなくて「休学しました」てところですね。
遠藤: そう。「来月も大丈夫です」って(笑)。で、そうこうするうちに、他からも就職希望者の話が入ってくるんですが、自分で扉をこじ開けたわけだから、その人を採りましたよ。
小林: 遠藤さんは、人との巡り合わせもよさそうですね。
遠藤: 全部「人」のおかげです。建築って形だけが一人歩きするけど、実際は人でつくられているんです。お客さんや友人、両親…。人と人とで、ものはできていく。建築も、お客さんがいるから違う目で見てくれるし、使って問題が出てくれば変えたいところも出てくる。そこでコミュニケートすることが必要となる。それがなかったら単なるオブジェクトです。そこが建築とオブジェクトの決定的な違いだと思います。建築にはコミュニケーションがあります。
事務所を始めてからしばらく、なんでこんなに毎日問題が起きるんだろうって思っていました。でも、問題が起きるのは当たり前のことなんです。僕たちはその問題を解決するためにやっているようなところがあるから、決してそれは悪いことじゃない。必要とされているから問題が起きるんです。
小林: なるほど。
遠藤: 昔、僕もスタッフも、事務所に鳴る電話がみんなクレームなんじゃないかと、すごく怖がっていた時期がありました。そうしたら、あるプロジェクトの施主さんが「電話は事務所の玄関だ。電話をとるということは、事務所で玄関の扉を開けることなんだ。誰かがあなたたちを必要としているから電話がかかってくるんであって、必要なければかかってこない。だから喜びなさい。クレームだろうが仕事が入ってくることだろうが、電話のベルが鳴るというのはすばらしいことだ」と言ってくれたんです。そのときから、みんな電話のとりかたが変わりました。
携帯電話とか、コミュニケートするための道具は、人と人が顔を合わせるという基本を変えつつあります。そういう意味では、事務所の固定電話というのは、ちょっと自分たちが失ってしまいそうなものを、もう一度気づかせてくれるものだと思います。施主さんのその言葉は、すごくあたたかかった。
●遠方へ出張することが多い遠藤さん。当然、移動時間が多くなりますが…。
遠藤: 今は出張が多いので、移動中が自分の時間です。例えば新幹線や飛行機。移動するときは、iPodとノイズキャンセリングヘッドフォンを持っていきます。移動を楽しむという面では、車も同じです。今は、本当に移動時間が多い。楽しむことというと、移動の中でできることしかないという状況です。
鄭: 人(自分も含め)は暮らしていると、だんだん移動時間を少なくしたいと思うようになりますね。でも、移動を極限まで削っていくと、逆に移動時間が恋しくなる。移動する時間は縛られた時間ですから。そういう縛られ方が、今の自分にはありません。移動時間というのは、これから逆にすごく重要になってくると思います。
遠藤: 僕は事務所を始めるときに「家と事務所は別」と思いました。事務所に行かなければならないという状況をつくらないと仕事をしないと思ったんですね。だから、逆に家では仕事は一切しない。鞄に書類をつっこんでも、結局開けないですね。家にはインターネット環境もない。スケッチもしません。
移動の間しか自分の時間はない、と思うので、移動中に仕事をできるようにならなきゃだめだなって感じます。
この前、移動時間について考えさせられるいいきっかけがありました。
中国のある地方に行ったんですが、そこが一日一往復しか飛行機がないようなところで、空港にもその周りにも何もない。待ち時間(2時間)は、空港の小さな寒いカフェで時間をつぶしました。つまり、一便の飛行機のために2時間の待ち時間。さらに、行って仕事して食事して寝て、次の日の午前中にちょっと仕事して帰ってくる、それだけの仕事のために二日間使っちゃう。そういう場所の施主とでも仕事をしなければならないわけですから、本当に「移動時間を仕事に使うことを考えなければだめかな」って思いました。あまりにもすることがなかったので、反省したんです。
小林: そういうときでも、頭の中で何か発想をしているのではないですか。
遠藤: 多少しますけど…、だいたいだめですね。
というのは案の出し方にしても、普段スタッフと、ああでもないこうでもないと話していて、自分の中で何か気がつき始めて、半分トランス状態みたいになったときに案が出てくるんです。コミュニケートしなければだめです。ウチの事務所はみんなでそうやっています。僕のひらめきは、きっかけにはなっても結果にはなりません。移動中にスケッチしたりもするけど、いい案が出たことはありません。みんなと話しているときにスケッチしていると、いい案が出る。つまり僕は触媒がほしいんです。その点では、私のスタッフはみんな案を引き出すのが上手いです。これは感謝しています。
小林: じゃあ、移動中はやはり難しいですね。
鄭: スタッフみんなを連れて行かなきゃ(笑)。
遠藤: スケッチブックからしか建築は生まれないかというと、そんなことはない、言葉の中からも生まれる、と思います。つまりコミュニケーションです。
コミュニケーションということで言えば、僕は、高校生まではこんなにしゃべらなかったですね。建築が僕にとっては、自信というほどではないんですが、話すツールになりました。高校時代の友人と会うと、おまえ変わったなって言われます。
小林: 構造家の佐藤(淳)さんも、打ち合わせでコミュニケーションすることで、いろんな案が出てくると言われていました(生活普段議第3号参照)。
遠藤: そうですね。だから、佐藤さんと仕事をするときには、はじめからあんまり決めすぎずに声をかけます。施主さんにも、佐藤淳という構造家が入ることをあらかじめ言っておきます。まずゾーニングだけ「こんな感じだったらできるかな」という程度を施主さんには話しておいて、それから佐藤さんと1回打ち合わせを終えておく。それがすごくテクニカルな部分です。佐藤さんに「今こんなことを考えているんだけど」と柔らかい状態で投げます。要はプランを決めきってしまうと、そこに入ってもらう余地がなくなるんです。
小林: 最初から佐藤さんとはそういう方法でしたか。
遠藤: ある程度そうでした。すでにプランなどは割と決まっていた方ですけど、それでも柱をなくしたり、より良くしていきました。
空間をつくる僕たちと、構造家である佐藤さんとがインテグレート(統合)されなければいけないと思うんです。表裏一体どころか、両方が両方ともに有機的に一体化していないといけない。壁をつくるにしても「これは構造のための壁」ではなくて、構造壁であると同時に空間に必要な壁であるような全体性が必要です。だから施主さんとの打ち合わせも、全部決めすぎることがないようにコントロールして進んでいくんです。



軽井沢の家2
photo2点:遠藤建築研究所
鄭: 佐藤さんが入って、プランを変更することが多々ありますか。
遠藤: あります。すごくある。“軽井沢2”も、最初に比べるとぜんぜん形が変わってしまいました。
施主さんにも、構造家という仕事を理解していただくというのは、すごく重要なんだと思います。施主さんによっては、佐藤さんに会いたいっていう人もいますよ。一緒に飲みに行こうって。
鄭: 構造家も重要なキーなわけですからね。
小林: 意匠だ構造だ、という境界はなくなってますね。インテグレートされている。でも構造家という職能は、一般には知られていないですよね。
遠藤: 知られていないですね。だから、僕らがきちっと世の中に発信して行かなきゃだめなんでしょうね。
●目指す仕事のスタイルについて
遠藤: 下田で眼科と住居が一緒になった建築のプロジェクトを手がけたんですが、眼科というと「ランドルト環」というのがあって…
小林: ランドルト環?
遠藤: こういうCマーク(視力検査に使う)。それを玄関のガラス面にデザインしたりして、グラフィックアートのような感じもあるんですよ。そんなふうに、意味のあるものがアートになっていくっていうのは面白いですね。
小林: 単にグラフィック的にキレイとかインパクトがあるとか、ではなくてですね。
遠藤: そうです。うまくいかないことも多いんですけど、そういうのがうまくいったときに快感もあります。
僕は地域再開発もやるし、ID(インダストリアルデザイン)も好き。建築を「キーワード」にしてはいるけど、やることの幅はすごく広いんです。
ストックホルムラボというデザイン事務所があって、デザインをするのにロゴから配色から、要はデザインオーダーをクライアントに対して行っています。それを見て「ああこれが僕はやりたいんだ」って思った。建築は「キーワード」で、むしろそのまわりにあるものを全部つくりたい。それをぜんぶ提案したいと思っています。
小林: その一端が、ランドルト環を使ったデザインに表れているのですね。
遠藤: そうですね。仕事の仕方もそうなのですが、例えば、建て売り住宅で都市が食われていっているのを目の当たりにしたとしましょう。でもそれを批判するだけじゃなくて、建て売りをよくするために他と組んで何かできないのかって思うんです。オーダーメードだけじゃなくて、プレタポルテつまりプロトタイプ型のものも提案できるならしたい。なにかすれば、ちょっとでもよくなるでしょう。そのちょっとが結構重要だと思います。それが世の中を変えるかもしれないと思うと、少しもおろそかにできない。現在もそういうことをやっています。
小林: 建築にとどまらず、トータルにデザインしていきたいという考えですね。
遠藤: 結果的には建築なんですが。例えば、あるモノの開発に関わるような場合は、それを売る人への教育までやってます。「こう売るのがいい」とか「こう話をするんだ」とか。そういうのは面白いですよ。
小林: 昔からそういうことを考えていたんですか。
遠藤: どうかな…。やっぱり事務所を始めてからじゃないでしょうか。
事務所を開いて、はじめは仕事があまりない時期もありました。そんな状況になって、「ああ、これはつくるだけじゃなくて、どうやって火のないところに煙を立てるのかが重要なんだな」って思いました。
僕たちがつくるのは建築だけではないはずで、例えば「こういうお皿で飯食ったらおいしいよ」というような提案までするべきです。陶芸家である弟とは昔よくコラボレートしていました。社会の中での建築像を表現するには、たぶん建築家だけの力じゃぜんぜん足りないんじゃないかと思っているんです。
●遠藤さんの考える「建築家」とは
小林: 一般には建築家といえばなんとなくのイメージ程度しかなくて、それほど具体的には知られていないと思うんです。遠藤さんは、その理由はなんだと考えていますか。
遠藤: うーん。ひとつには、建築士という資格自体がもつ総合性がありますが、世の中には、その総合性に対して『建築士は、私たちにはできないことができるんだ』っていう、過大な期待があると思います。建築家ってのはすごいんだぞっていうふうに制度をつくった反面がないかな…。
あえて言えば、建築士っていう資格制度自体がぼくらの職能を正確に言い表していない。だから構造家っていうのもわかりにくい。建築士(あるいは建築家)っていうものが何でもできるっていうふうに思われているけど、実はたくさんの人に頼っている。建築家にフォーカスするときに、まわりにどれだけの人がいるのかということがキーになるのは確かだと思います。僕たちはすごくいろんな人に頼っているんです。
事務所から、定期的にグリーティングカードを出しているんですけど、例えば、その中にボルボの修理をしてくれている人がいる。「はがき見ました」って言ってくれると、それだけでとても嬉しい。その人も、ボルボを直すことで、僕の建築を支えているんです。そういう人が、僕の周りにはすごくいっぱいいるんです。
僕たちは、施主さんと一緒に建物をつくっていくための総合プロデューサーみたいなところがあって、構造家やランドスケープアーキテクトと一緒に、モノではなくモノに関わる状況をつくっていくんです。そういう理解が世の中に進むことが重要じゃないかと思いますね。
鄭: いまは、建築家の認識が局所的に極端だったりしますからね。すごい偉い人だ、という認識の反対側には、建築家をまったく知らないという人がいます。いまのTV番組は、建築家を工芸家のように扱ったりしていて…。
遠藤: 時代が変わり、仕事の内容も変わっているのに、メディアとしてのターゲットオンのさせ方が、TV番組で扱われているような像(現場でノコもってる建築家)に偏っている。本当はいろんなタイプがいる。建築にフォーカスするのか、建築家にフォーカスするのか、それとも建築をつくる建築家にフォーカスするのか、でだいぶ違う。今のTVが扱うのは、劇をつくる建築家なんです。上手く言えているかどうかわからないけど、「普段議」がキーワードだとすれば、机の上でこうやっているからいい建築が生まれるかっていうとそうではない。移動している間にイメージしないかというと、イメージしているかもしれない。そういう生きているという全部が僕にとって建築なんだし、建築にしていたい。建築のために使いたい。だから、ボルボに乗っているときもモノにさわってつながっている実感が、きっと僕の背後では建築につながっているし、飛行機の中で移動しているという感覚が僕の建築につながっているんです。それは、施主さんにも世の中にも、なかなか伝わらない。あくまでも、事務所で図面を描いている僕たちと結果としての建築、というすごくわかりやすい構図だけが求められていて、表現されているんです。
鄭: 建築家であるというのは、社会的には建築家という「職業」をしていると見られがちなんですが、建築をしている人は建築家という「生き方」をしているという人のことじゃないかと思うんです。
遠藤: そうそう、そうなんです。建築家という「仕事」はないんですよね。
じゃああなたは建築家ですかと言われると、建築家になる方法はないんだけど、建築をやる方法はあるんです。結果としては、それが建築家なんだけど。その辺は誤解されやすいし、世の中になかなか伝わらない。僕は名刺には建築家って入れていない。じゃあ、誰のために建築家なのっていう問いがあるとすれば、たぶん究極的には自分のためなんです。建築というものにさわっていたいからやっていて、それが仕事になっている。だから趣味もなくなっちゃったし、遊ばないような状況でも、文句どころか喜びでしかないんです。でも、それは世の中にはすごく分かり難いでしょうね。建築家像を伝えていくことが、僕たちの世代にまさに求められていることじゃないかと思います。
インタビューにお邪魔したときは、プロジェクトの提出間際でとてもお忙しそうでした。そんな中、スタッフをノセるようにハッパをかけていた遠藤さんの声が印象的でした。
聞き手:鄭、小林(生活普段議 www.cabbage-net.com/seikatsu/
クレジットのない写真はすべてキャベッジ・ネット撮影
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